前にも書きましたが、もう一度書きたい。
(前書いたやつ)
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さきほど、夜の散歩をしてきました。
やはり、おれは、誰かの家の窓の明かりが好きなのです。
どちらかというと、白より、オレンジ色の方が好みです。
その明かりの下にあるであろう、団らんが好きなのです。
その明かりの下で、家族で楽しくご飯を食べていて欲しい。
その明かりの下で、友達と楽しくボードゲームで遊んでいて欲しい。
その明かりの下で、なんの不安もなく、ドンキーコングに没頭している少年がいて欲しい。
その明かりの下で、ギターに明け暮れる少年がいて欲しい。
やっぱり、おれはその窓の明かりの下に、自分の楽しかった瞬間の自分を見ているのかもしれない。
ノスタルジックな気持ちだ。
最近、このブログを書いていてわかったが、おれの最近のテーマのひとつは「不安」なのだと思う。
不安は、歳を重ねるごとに増大している。
不安が小さかった子供の頃に戻りたいが、戻れない。
そして、「不安」というのは、決して生易しいものではなく、死因になりうるほど強力な魔物だ。
何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。
そして、おれは、この不安が払拭できないことを知っている。
なぜなら、つきつめていくと、おれの不安の根源は「死への不安」だからだ。
死を避ける事はできない。
それなら、この不安からも逃れる事はできないだろう。
おれは、窓の明かり下に、不安のない誰かがいることを望んでいる。
窓の明かりの下にいる人がおれのような不安を抱えていない人であることを祈っている。
そこで、誰かがおれの理想のように幸せに暮らしているかもしれない事が救いに感じられる。
つまり、夜の民家から漏れる明かりは、おれにとってはファンタジーなんだ。
しかも、それは、「理想の生活」というリアリティや具体性を伴ったファンタジー。
その見知らぬ窓の明かりの下で、誰かが、なんのうれいもなく、ギターを弾いて、友達とボードゲームして、家族で団らんしているというファンタジーが好きだったんだ。
コメント
電球色の積載ハウスは幸せが溢れてる
★★★★★
うわ、なんすかその☆www
すげぇ。
そう、それです。
電球色の積水ハウスです。
不安とは、縛りプレイである。
お金は集めれるだけしか使用出来ない。
最終学歴は一人一つまで。
ゲームは一日一時間まで。
人生は一回八十年まで。
何か名言っぽい事言ってみた。
ぽい事ね。
死んでない人はみんな、生きている。
かわいいは正義。
かわいいは作れる。
正義は作れる。