今日はコチラの3本です。
歩幅
最近は自粛自粛でめっきり外に出なくなりました。
なんか、腱鞘炎が、一日で治ると思ったら、全然治らなかったので、左手一本で書いています。
昔この、側溝の蓋を見ながら下ばかり見て歩いていました。
小学生の頃は、1,5個分の歩幅でした。
そして、高校生、大学生の頃は2個分の歩幅だったように思います。
そして、今は、1,5個分の歩幅です。
体力の衰え。
運動不足。
わずか30分歩いただけで、頭くらくらで倒れそうです。
午後3時半の空は少し暗い
一面の青空なのに、少し暗い。
前々から思っていたけど、午後の空は、影が長くなって、世界が少し暗く感じる。
っあ。この記事ちょうど1年前に書いたのかぁ。懐かしい。
とにかく、午後4時付近は世界が少し、ノスタルジックに感じる。
映画「マトリックス」は映画「インセプション」のコマのような存在
そんな、ノスタルジックな街を歩いていたら、現実感がなくなって、もやもやとした感覚になった。
「起きているのに夢の中にいるみたいな感覚になったことは無いか?」
「マトリックスはいたるところにある、仕事をするときも、納税するときも、それを感じる事ができる。」
映画「インセプション」では、主人公コブが、ヒロインのモルに永遠に回り続けるコマを使って「この世界は現実じゃない」というアイディアを埋め込む。
そして、インセプションの世界では、「死」をもって非現実から目覚める事ができる。
そして、現実を非現実と思ってしまったモルは・・・
しかし、この現実が本当に現実かどうかは誰にもわからない。
モルは皆が現実だと思って疑わない「現実」から1人だけ目覚めた可能性もある。
「もし夢から醒めないとしたら、現実と夢をどうやって区別する?」
映画「マトリックス」のすごいところは、見終わったあと「この世界が現実ではないかもしれない」という考えを視聴者に埋め込むところだ。
それは誰にも証明することはできない。
「水槽の中の脳」
「世界五分前仮説」
のように
星新一のショート・ショートにこのような話があった。
死者と会話できる装置が開発され、死者は「死後の世界は最高だよ!みんなコッチにおいでよ。」と言う。
信じる者は自殺し、信じない者は生き残ったという。
しかし、この世界が現実なのかどうかと同様に、死後の世界があるのかないのかすらも、誰にもわからない。
宗教や、神の存在を誰にも否定できないように、人智を越えたモノを証明したり、反証したりするのは不可能なのである。