キリンノックスの独り言

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無益な独り言を書くサブブログ。

「死にたい」は「生きたい」の裏返し

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花粉症?鼻水がやべぇ。


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花粉症なのかわからないが、昨日から鼻水が止まらない。

鼻水が止まらないと、やる気の減衰がすごい。

 

 

何をやろうと思っても、まず鼻をかまなければいけない。

 

そして、鼻をかみおわると・・・

 

鼻水がたれてくるので、鼻をかまなければいけないw

つまり、鼻をかみ続けなければならず、何かをやってる場合じゃないのだw

 

そこで、今日は対策に乗り出した。

 

 

対策

  1. 青竜
  2. 点鼻薬
  3. ワセリン
  4. 空気清浄機

 

 

1.小青竜

 

早い話が漢方薬である。

めっちゃくちゃまずいw

だが、良薬口になんとやらというわけで飲んでみようと思った。

 

 

これに関して、嫁と話すことには、おれは東洋医学が好き、嫁は西洋医学が好きということだった。

おれは、どちらかというと、体質改善こそが至上命題で、体質改善してこそ病気に打ち勝てると思っている。

そこでアロエなんぞが健康に良いと聞きつけて飲んでいるわけだ。

というわけで今回も漢方薬って良さそうだなと思っているわけだ。

 

 

いっぽう、嫁は薬や具体的な治療でなければダメだと言っている。

 

 

まぁどちらも重要かな・・・

原因が生活習慣にあるような病気では、表面的になんど治療したところで、体質改善しなければ、また再発するだろうし、かといって、やはり投薬などで治さなければいけない病気もある。

一長一短だと思う。

 

 

2.点鼻薬

 

そうは言っても、薬は大事よねw

 

 

3.ワセリン

 

ワセリンを鼻の穴に塗っている。

 

 

4.空気清浄機

 

花粉を家の中から駆逐する。

あ、最初の写真は、こいつのフィルター掃除中の写真ですw

 

 

 

本当にコロナによって失われた日常が帰ってくるのだろうかと思ったが、そもそも「日常」などというものが幻想だったのだと気付いた。

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コロナによる休校や営業自粛。

ほとんど町に繰り出していないので、実情はわからないが、日常は失われてしまったような気がする。

 

ふと、本当に以前のような日常が帰ってくるのだろうかと思った。

しかし、そもそも「以前のような日常」こそが幻想なのだと思った。

 

人は1回しか生きられない。

まるで繰り返しのように見える日々も、その一回しかやってこない日常なのだ。

 

つまり、今、コロナウイルスによって、日常が失われたのではなく、コロナウイルスと人類が戦っているという日常」なのだ。

 

人生は絶えず、変化していく。

繰り返される日常なんてものは存在せず、どんな日常も、その1回キリの日常だったのだ。

つまり、いかなる日常も帰ってこない。

コロナウイルスがあろうとなかろうと、過去の日常は二度と帰っては来ない。

 

 

 

死にたいのではなく、生きたいのではないか。

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ふとした時に死にたくなる。

そんな記事を何度も書いてきた。

まぁそういう人もおれだけではなくて、たくさんいると思う。

 

 

しかし、コロナウイルスによる、死者のニュースを見て、死にたくないと思った。

 

実は「死にたい」という感情は、「こういうふうに生きたいのだけれど、うまくいかない。」というだけなのではないだろうか。

 

 

例えば、金があって、健康で、愛する人に囲まれて、やりがいのある仕事に従事している人が死にたいって事はないだろう。

 

 

心から、死を望む人などいないのではないか。

人は皆、「生きたい」というDNAを持って生まれてくるのだから。

 

 

つまり、「死にたい」という感情

 

「金持ちになってリッチに生きたい」→「でも無理そうだから死にたい」

「健康に長生きしたい」→「でも無理そうだから死にたい」

「楽しい仕事をして生きたい」→「でも今の仕事が最悪だから死にたい」

愛する人に囲まれて生きたい」→「でも無理だから死にたい」

 

という論法なのではなかろうか。

 

 

だからなんだという話かもしれない。

不治の病にかかって「死にたい」と言っている人に、上記の気づきを伝えたところで、「だからなんだ、実際におれは、健康ではないんだから、死にたいの本質が「健康に生きたい」だったとしても意味ないだろう」と言われてしまうだろう。

 

 

しかし、自分の欲求を正確に捉える事は、何かしらの意味があるような気がしている。

 

 

自分の欲求が本当は「死にたい」ではなく、その180度真逆の「生きたい」なのではないかと知る。

それだけで、心の中の矛盾が解けたような気がする。

 

おれは「生きたい」のだ。

 

 



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