誰かに愛されている限り生きなければ。

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「自殺」については毎日のように考えている。
自殺しようと考えているわけではない。
ただ、「自殺」の事を思っている。
 
「自殺」や「死」について考えている。
 
おれは幼少時代から、死についての興味が強すぎるし、「自殺」というものについて考える回数もおそらく人より多い。
自殺に関する本も読みまくった。

 
 
おれは、何度も書いたように、自殺願望と仲良く生きている。
 
私の厭世観と自殺願望 – キリンノックスの日記
自殺妄想 – キリンノックスの独り言
 
まぁ多かれ少なかれ、大体みんなあるもんだと思ってる。
ごく一部の人にはないかもしれないけれど。
 
 
おれは天寿を全うするだろうか、それとも、自分で自分に終止符を打ってしまうのだろうか。
自分はどんな死に方をするのか・・・
そんな未来の事をもやもやと妄想したりする。
 
 
しかし、人は誰かに愛されているなら生きなければならない。
そう思った。
 
 
いや、おれは、誰か一人でも、愛してくれているのならば生きなければ。
 
 
いや、おれは、誰か一人でも愛してくれる限り生きようと思う。
 
 
死んでしまうのは、愛してくれる人を傷つける事になるからだ。
おれに無関心な人はおれの死によって傷つかないし、おれを嫌いな人はおれの死によって喜ぶだろう。
自分の死によって傷付くのは、愛してくれる人なのだ。
 
 
であれば、生きなければいけない。
 
生きることは、愛に報いる為の必要条件であるから。
 

コメント

  1. kokomokumoritake より:

    おキリン様の完全復活じゃあぁぁ!
    お疲れっす。
    誰かにっていうより自分の愛しているものに愛されている限りっすね。
    知らんジジィに愛されても知らんがなってなる 笑

  2. kirinnox より:

    メインブログが書けなくて死んでるw
    書きたい気持ちだけがあるw
    そんな視点があったかー。
    ちょっと、一方的な愛は経験がないのでどんな気持ちかわかりかねるw
    知らんジジィでも愛されたら気にかかってしまうかもしれません。
    好意の返報性的に。

  3. kokomokumoritake より:

    これを足す 笑

  4. kirinnox より:

    屁の話面白かったですw
    自分のためではなく、誰かのために生きたい。

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