8年前。
私は大学生だった。
もう8年も経ったのか・・・
大学生の私は、まぁまぁウェイで、まぁまぁクズだった。
まぁクズなのは今も変わらないけども。
朝まで遊んで、家に帰って、大学をサボって寝ていた。
もちろん、ちゃんと卒業したので、それなりに授業には出ていたのだが、平日も休日も区別がないような生活を送っていた。
バンド、ドライブ、酒。
私という人間の根っこは根暗キモオタなのに、これだけ並べると超パリピっぽいから不思議だ。
しかし、あのときの友達も、心底ウェイな人たちではなく、どこか心の隅に闇を抱えている人が多かった気がする。
当のおれももちろん、心のそこからウェイではなかった。
表面上のウェイだったのかもしれない。
生まれてから、現在28歳まで、登園拒否やら不登校やらでずっと社会不適合だったが、大学生だけは、表面上はまるで普通の大学生のように過ごしていた。
そんな大学生のある冬の日の夜。
おれは酔っていた。
どこで、誰と飲んだかは覚えていない。
おれは車を大学付近の駐車場に停めていたが、流石に飲酒運転で帰るわけにはいかない。
しかし、いかんせん寒い。
時刻は夜中の4時で一人ぼっちだ。
これは車で暖をとって、日が昇ったら友達んちに転がりこんでなんとかするしかないな。
そう思った。
しかし、車のエンジンはかからなかった・・・
車内灯が付きっぱなしでバッテリーが上がっていたのだ・・・
バッテリーあがりは何度かやった。
情けないやら、不甲斐ないような気持ちになる。
大体不注意によるものだからだ。
余談だが、現在、私は絶対に車内灯を使わないことにしている。
車内灯をつけなくなってから、バッテリーが上がることはなくなった。
20歳のおれは、真冬の朝4時に、酔った状態で、車で暖を取ることもできず、暗い田舎の街で、独りぼっちだった。
道を歩いている人もいないし、家の明かりも大体消えている。
この状況は明らかにおれが招いたものだ。
酒を飲んだのも自分なら、バッテリーを不注意で上げてしまったのもおれだ。
どうするか悩んだ。
選択肢は4つだ。
友達に電話する。家族に電話する。 ファミレス。凍え死ぬ。
24時間やってるファミレスまではかなり距離がある、歩けば50分くらいかかるだろうし、酔って深夜にファミレスに入るなんてかっこ悪い。と当時のおれは思っていた。
凍え死ぬ。
これはありだったかもしれんな。
あの時が全盛期だった。
あのとき死んでも、多分後悔はなかったと思う。
友達に電話。
本物のウェイだったら、コレだっただろう。
または、おれが地元の大学でなかったら、コレしかなかっただろう。
だが、おれは友達に迷惑をかけるのが嫌だったし、なぜかプライドが邪魔をした。
朝4時。
おれは実家に電話した。
迷惑なのは重々承知だ。
でも、迷惑をかけるなら、赤の他人ではなくて、家族だな。となんとなく思ったのである。
当時大学院生だった兄が電話に出た。
「もしもし~?あ?お前か。なんだよ。こんな夜中に。」
明らかに機嫌が悪かった。
当たり前だ。朝4時に寝てない人間なんてそういないだろう。
おれは、経緯を説明した。
兄は言った。
「わかったすぐ行くよ。」
おれは、凍えながら兄をじっと待った。
兄が車できた。
とりあえず、夜も遅いので車は一旦放置して家まで送って貰うことにした。
帰りの道すがら
「わりぃね」
と言った。本当に「悪いね。」と思っていた。
なんだか、不甲斐なかった。
自分でも自分が不甲斐ないやつだと思っていた。
大学生でなんとなく不安で、このままダラダラした日々を過ごすのは、駄目だと思いながらも、頑張ることができずにモヤモヤしてる。
なにかに全力で打ち込むわけでもなく、ただ、大学生という身分に甘えて遊んでる自分に自己嫌悪している。そんな「悪いね」だった。
だが兄は言った。
「おれは借りを返しに来ただけだ」
いつ貸したのだろう。
貸した覚えはない。
それでもなんだか涙が出た。
自分はなんの役にも立っていないと思っていて、迷惑しかかけねぇやつだと思っていた。
それでも、兄に何かを貸していたのだと、自分の存在が肯定された気がした。
4日前に行った、いとこの結婚式で、兄が涙を流していて、エモくて良い兄だな。と思い、このときのことを思い出した。
兄「おれは借りを返しに来ただけだ」

コメント
ちょっと本筋とずれるけど。
キリンの全盛期は三十まわってからだ。
それだけ言いたかった(*・ω・)ノ
ありがとう!
“キリンは法律上、ペットとして飼育できる。これは日本国内で個人が飼育できる最大の陸上哺乳類である。しかし実際に飼うとなると多額の費用[注釈 2]が必要である。寿命は長く、30年以上生きたことがある。なお、輸入には検疫が必要である。
キリン – wikipedia”